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経歴

福岡県で内科開業医の父の下に生まれる。青雲高等学校卒業。医学部時代のラグビーでは西日本大会で優勝。また日本縦断ヒッチハイクでゲイのおじさんに襲われたり、無人島にゴムボートで渡り遭難するなどアクティブな日々を過ごす。その後は医師になるも2003年に渡米して映画製作を開始。2009年ジャックワイズマンJr.と共に製作したSpicy Mac Projectでは2009年度メキシコ国際映画祭パルムドール賞を受賞し、同映画祭で日本人の長編作品では史上初の快挙を成し遂げる。Spicy Mac Projectは全米&カナダでのDVD配給され、日本では『史上最高のパンツ一丁男』として2011年12月16日ローランズフィルムよりDVD発売&レンタルされた。現在、映画全編をYouTubeで公開中。

監督作品

 ファーザー/ Father (2003年)

 インストラクター/ Instructor (2004年)

 ストーカー/ The Stalker (2004年)

 パイウォーズ/ Pie Wars (2004年)

 イギリス男児vs現金自動支払機/ The British Man vs Cash Dispencer (2005年)

 薬中マークの恐怖体験/ Merky Mark's Mega Murder (2005年)

 爆弾探偵/ French Bomber Detective(2006年)

 史上最高のパンツ一丁男/ Spicy Mac Project (2008年製作、2011年12月16日 日本公開-ローランズフィルム配給)

受賞歴

 メキシコ国際映画祭(2009年) パルムドール受賞

 ニューヨーク国際インディペンデントフィルムフェスティバル(2006年) グランプリ受賞

 カナダギグルズ国際ショートフィルムフェスティバル(2006年) 入賞

 ロサンゼルス国際ショートフィルムフェスティバル(2006年) 正式出品

 ニューヨークファーストサンデーコメディーフェスティバル(2006年) 入選

 ゴールデンライオンフィルムフェスティバル(2006年) 入選

 東京ネットムービーフェスティバル(2006年) 入選

 小津安二郎映画祭(2006年) 入選

 チロル映画祭(2005年) セミグランプリ受賞

 JVC東京国際ビデオフェスティバル(2005年) 入選

 インディズムービーフェスティバル(2004, 2006年) 入選

お笑い映画監督を目指したきっかけ

医師として多くの死に直面し『生きるとは笑うことである』と悟る。ただ心臓が動いてるだけでは真に生きているとは言えない。病気の大半はストレスが原因であり、それは笑いが足りないからでもある。真に人間を生かすのは医学ではなく笑いである!ならば世界中の人を笑わせるためにハリウッドでコメディー映画を作ろう!と決意。医局を辞め、キャバクラも辞め、1年間アルバイトで必死に貯金し渡米した。のちにマックは「当時自分は間違いなく厨二病を発症していた!」と語っている。

 

スパイシーマックの由来

ロサンゼルスで映画製作を開始するが、日本人ミュージシャンの長島くんから「アメリカ人が覚えにくい日本人名を名乗って本気でハリウッドを制覇するつもりか? スパイシーマックに改名するべきだ!」と強く言われ、最初マックは「ピリ辛バーガーかよ?」と聞く耳を持たなかった。またネーミングの意味を彼に質問しても「スパイシーマックはスパイシーマックだ」としか答えず、それから半年間、毎晩4時間ほど「まだスパイシーマックに変えてないのか?」と執拗に何度も説得され、徐々にマックも「ミュージシャンが発案しただけあってネーミングのリズムがいいな(笑)」と完全に洗脳され、ついにスパイシーマックに改名した。結果、アメリカ人が一発で名前を覚えてくれるようになった。しかし本人は「いつアップルやマクドナルド、そしてマック赤坂から訴訟を起こされるかわからない。」と自意識過剰で不安な日々を過ごしている。

撮影メソッド

フィルムスクールの授業料は年間数百万円と高額なため、マックはお金を節約するためにスクールには一切通わず、代わりに演劇学校や語学学校に在籍してショートフィルムを何本も製作しながら独自のメソッドを編み出していった。マックは脚本、監督、撮影、編集、音楽など全ての工程を一人で行える。ただ撮影時はシーンを細かく分解し、必要なシーンだけを細切れで順序も画角もバラバラで撮影するため、周りは何をやっているのか理解できないが、編集時点でようやく絵がつながることから、ちゃんと撮影できていることが分かる。基本的にカメラは自分で操作し、撮影スピードも非常に早い。何度も撮り直しすると俳優のエナジーが低下するため基本的に2テイク以上は撮らない。しかしまれに3テイク撮ることがあるが、その場合はマックによる撮影ミスのためであり、その際は「すごく良かった! じゃあ念のため、もう一回ね」と撮影ミスをしたことを俳優には黙って撮り直すようにしている。

 

監督兼スタントマン

スパイシーマックは崖や車から落ちたり殴られるスタントなどは全て自分でやり、同じ作品内でエグゼクティブプロデューサーがスタントのクレジットも兼ねるという前代未聞の制作スタッフ構成である。しかしそれは末端のスタントマンが怪我すると同時に映画制作の工程がすべてストップするという危うい制作システムでもある。マックは表向きでは「危ないことを他人にはさせられない」と男気のある理由を述べているが、実際はスタントマンを雇う予算が無いだけである。

 

小道具は路上調達

マックはロサンゼルスで外を歩く際に路上に映画で使えそうな物が何か落ちてないか常に注意を払い、落ちているガスボンベやラジカセ、ビデオデッキ、ショッピングカートなど不法投棄された物を見つけるとすぐに拾っていた。マックはそれを小道具として作品内で有効活用し、使い終わったらちゃんと元の場所に戻していたが、それをやると今度はマックの不法投棄になるのではないか?という周りの意見には『いや、ちゃんと元に戻すだけだから!』と一貫した主張を貫いていた。

 

スパイシーマック・カレー

ハリウッド映画製作とはいえ低予算のため撮影中の食事は全て自前のチキンカレーを出す。大量のタマネギを切った際に催涙スプレー1本を撒き散らしたかのような刺激が部屋中に充満するため、マックはいつも水中メガネを掛けていたが、そんなマックが深夜に薄暗いキッチンで大型の寸胴鍋をかき混ぜる姿は、さながら違法ドラッグの製造工程のように不気味だった!と後にプロデューサーのジャックワイズマンは語っている。スパイシーマックカレーの秘伝の隠し味はそばつゆ、コーヒー粉、ハラペーニョ、常識では考えられないほどの大量のニンニクであり、マックは相当のこだわりを持っていた。それはある日ジャックワイズマンが徹夜で朦朧としながらカレーを調理した際にそばつゆを入れ忘れたことにマックが激怒し、1週間口をきかない断絶状態となりプロダクション崩壊の危機を招いたほどである。そのためこの絶品カレーはアメリカ人俳優達には大好評であり、このカレーだけが目当てでエキストラとして無料で出演する俳優もいるほどである。このカレーを食べた後はニンニク臭が強いためキスシーンができないが、マックの映画には元からキスシーンが無いため全く問題なかった。またカレーだけでなくスパイシーマックの作るタコスにもそばつゆが混入されておりメキシコ人もビックリするほど濃厚で美味しく、ロサンゼルスにはそのファンが多数存在する。ただ当時そばつゆは一本9ドルと非常に高価であり、マックがキッコーマンのアメリカ現地副社長に偶然出会った時「そばつゆをカレーに入れると本当に美味くなって日本人として生きる勇気が湧きます!もっとそばつゆを安くで販売してくれませんか?」と力説するも無視されたこともある。マックの料理は相当上手いと評判だが「とりあえず大量のニンニクとそばつゆさえ入れとけばだいたい美味しくなる」と、マックの料理理論は結構いい加減でもある。

ヤク中ジョンソン襲撃 事件

マックの渡米間もない頃、隣人ジョンソンが薬物中毒であり、毎晩ラリってマックの部屋のドアをガンガン叩いた。ある深夜2時、ついにジョンソンが部屋の窓ガラスを割り、身の危険を感じたマックはロサンゼルス市警に通報。しかし自動音声で「ただ今電話がたいへん込み合っていますので、しばらくお待ち頂くか後ほどおかけ直し下さい」とメッセージが流れ、マックは「カスタマーサポートじゃないんだぞ!」と激怒。結局、警察は2時間後にタラタラ到着、必死に「器物損壊で逮捕してくれ」と懇願するもロス市警は「ただのヤク中だ(笑)、全員捕まえていたらオリが足りん」と笑いながら帰っていった。正当防衛の必要性を感じ多マックは米軍の防弾チョッキ、防弾ヘルメット、スタンガンを「命には代えられない」と500ドルかけ購入。しかしなぜかそれ以降ジョンソンはすっかり大人しくなり、マックは逆にジョンソンが襲って来なくなったことに対するフラストレーションを感じていた。後にマックは『電気ショックでジョンソンの頭骸骨が白く浮かびでるシーンを明確にイメージしながらスタンガンの練習をしていた』と語っている。

ロス市警スパイシーマックを逮捕!? 事件

渡米して3ヶ月、まだ前述のヤク中事件も冷めやらぬ頃、スパイシーマックが夜10時に公園の芝生で筋トレしていたら、隣接するアパートのドラッグパーティーでラリったアメリカ人達がマックの筋トレを見て大興奮、『ワン!トゥー!』と大声で数を数え始めた。自分への掛け声に嬉しくなったマックは調子に乗ってエアロビのようにニコやかなスマイルで腕立てや腹筋などをダイナミックに続け、それに合わせるように掛け声も大きくなっていった。すると突然ロス市警のパトカーが到着し、強烈なサーチライトの中でなおもマックは腹筋運動を続けたが、出てきた2人の警官がいきなり手錠をかけマックは逮捕されてしまった。マックは「ついにアメリカの刑務所に入れられ、屈強な男たちに〇〇を奪われてしまうのか?」と凄惨なシーンが走馬灯のように頭を駆け巡った。ロス市警は「誘拐犯がいると通報があった」と言うも、マックは「誘拐犯がこんなとこで筋トレする訳ないだろ!」と反論。それから40分間、警察「何をしていたんだ!」マック「だから筋トレを!」というやりとりを繰り返した後にマックの無罪が証明され釈放された。マックは当初「なんでこの前のヤク中は逮捕しないで、筋トレしてる僕が逮捕されるんだ?」とやるせない気持ちでいっぱいだったが、後に「確かに夜10時にロサンゼルスの薄暗い公園でニコニコしながら筋トレしてるのもちょっとだけあやしいかな?」と反省している。

 

LAラグビー部員全員ゲイ 事件

医学部時代にラグビー西日本大会で優勝するほど俊足ラガーマンだったマックは『アメリカの食生活は不健康!運動しなければ太る!』と、渡米後すぐに近所(West LA)のラグビーチームに入部。2m近い屈強なアメリカ人ばかりいる中でトライを量産、すぐにチームのエースになった。しかしマックは『タックルしても抱きついたままなかなか離してくれない』、『妙に抱き合うようにネットリとスクラムを組む』というチームのプレースタイルにある種の生理的異和感を感じていた。ある日サンフランシスコから遠征してきたライバルチームに勝利し、試合後バーでの打ち上げとなったが、店内では公然とゲイビデオが上映されており、また周りから『彼氏はいるのか?』と何度も聞かれ『やはりなにかがおかしい!』とキャプテンに問いつめたところ、彼は誇らしげに『僕らのチームは100%全員ゲイだ!ゲイだってラグビーもできるし男らしいんだ!ところでマックはどんな男が好みだい?』と質問、マックは肛門を引き締めながら『アンジェリーナジョリーだ!』と答えた。それ以降、試合中は目の前の敵だけでなく背後の味方にも注意をしなければならなくなり、マックはなんか怖くなって黙って退部した。のちにマックは『LGBTは尊重するが、健康のためのエクササイズがきっかけで性的趣向が変わってしまっては本末転倒!』と語っている。

 

毒植物(ポイズンナイビー) 事件

スパイシーマックはジャングルでの撮影中にポイズンアイビーという漆科の毒植物に触れてしまい、顔面が別人のように腫れ上がってしまう。マックは病院を受診したかったがアメリカの医療費は信じられないほど高かったため、日本から持参したステロイド点滴をしようと自分で自分に針を刺すが6回も失敗。7回目にしてやっと静脈に針が入ったが、毒の威力が強過ぎて点滴が全く効かず、結局アメリカの病院に行くハメに。超強力なステロイド注射1本を受けて症状は改善するも治療費を500ドルも請求されて相当落ち込んだ。その後、数年間は太陽光線にあたるだけで腫れが再発するという恐ろしい経験をするが、現在は完全に治癒。マックはこの体験を「これだけは笑いのネタとしてコスパが悪すぎる」と、損した気分で語っている。

原住民コントで警備隊に逮捕&裁判 事件

グリフィスパークで原住民が神様に祈祷をあげるシーンを日本人俳優Aくんと2人でゲリラ撮影中に公園警備隊に見つかり、原住民の衣装を『尻が出てる!』と指摘され捕まってしまう。アメリカで警察に逮捕されることに多少は慣れていたマックは『真面目な映画を撮影していただけだ!』と冷静に訴えるも、やはり『尻が出てる』と、裁判に出廷させられる。その後Aくんは帰国し、2人分の罪を背負うためにマックは1人裁判所へ向かった。法廷内には屈強な極悪人たちが各々の弁護士と2人1組で20人ほどおりマックは『こんな映画に出てくるような悪そうなヤツらと同じ犯罪を犯してしまったのか!』と震撼した。そこでマックは罪をできるだけ軽くするため撮影動画から最もお尻が出てないアングルの画像を切り抜いて持参、裁判長に『これは本当に真面目な映画の撮影で、尻もほとんど出ていません!』と主張。すると裁判長は『これは実にレアなケースだ!ちょっとみんな集まってくれ!』と、別件で法廷内にいる極悪人たちの弁護士10人程を裁判長のテーブルの周りに集めさせ、その後10分ほどみなで激しく熱い議論を交わしていた。そして裁判長は『君の映画への情熱は十分理解した!罰金1人200ドル、2人で合計400ドルでどうかね?犯罪の記録は無しだ。』と提案。マックは言われるがままに罰金を支払い、無事裁判は終わった。のちにマックは『2人で400ドルの罰金だったが、350ドルには値切れたかもしれない!』と、あまり反省の色を見せていない。

 

クリームパイでプール バスクリン 事件

当時スパイシーマックが住んでいたアパート管理人のおばさんジーナはレイシスト(人種差別主義者)で有名であり、マックが白人では無いという理由で一度差別されたため特に仲が悪かった。ある日マックがパイを顔面に喰らい続けるコント動画をアパートのプールで撮影していた時、誤ってクリームパイがプールの水に落下し、プール全体の水がバスクリンのように白濁した。急いでマックは撮影を撤収し部屋に逃げたが、アパートの管理人ジーナは真っ先にマックを犯人として疑った。しかし実際にジーナがマックの犯行現場を目撃した訳ではなく、具体的な証拠が何もないにも関わらず、なんの根拠もなしにマックを犯人と決めつけたこと自体に、マックは『確かに僕が犯人だが、証拠もなしに疑うのは論理的に間違っている!やっぱり差別じゃないか!』と激怒しているが、この件に関してはどっちもどっちである。

 

イギリス人 ルームメイト21セント盗難 事件

マックと2番目のルームメイトだった俳優志望のイギリス人マークは将来成功してスタイル抜群の金髪美人の女優さんと付き合うことを共通の志にしていた。しかしマークに突然彼女ができてしまい、しかも相手は体重100kg超級の超おデブなメキシコ人の彼女だったため『易きに流れたマークの裏切り』にマックは憤怒の念に駆られていた。また当時、徐々に貯金が減り貧困に陥っていたマックは、ある日テーブルに乱雑に置かれた自分の小銭がいつの間にかわずかに減っていることに気づいたため、念のため1セント、5セント、10セント、25セントと全ての硬貨の枚数を毎日キッチリ数え続けていた。それからわずか10日後、遂に明らかにテーブルから合計21セントが盗まれていることが発覚、マックは『21セントでも泥棒は泥棒だ!ふざけるな!』とマークに激怒。しかしその後マークが家賃を払わず夜逃げしたため、結果的にマックは彼の1ヶ月分の家賃500ドルを損することとなった。仕方がないので次に入居してきたジャックワイズマンJr.の家賃を月600ドルにアップし、こっそりと損益を回収していたことは内緒である。

 

インチキ映画祭入選 事件

世界にはインディーズ映画製作者から高額な応募費を搾取するためだけのあらゆる映画祭が存在する。例えば2006年にマックが入選したゴールデンライオンフィルムフェスティバルというのはスワジランドという貧困国が外貨を獲得するためだけに運営している映画祭である。ある日マックの元にニューヨーク国際インディペンデント映画祭から『あなたの短編作品がグランプリを受賞した!』と知らせが入り『グランプリ受賞者だけの作品展示ブースに出展できる権利』が与えられた。このブースにはハリウッドの業界関係者が大勢見に来る!と言われたため、マックは喜んで出展料700ドルを支払い、作品DVDを100枚焼き、特大ポスターまで印刷していざ参加したところ、会場はボロいホテルの廊下の片隅にテーブルがあるだけで、もちろんセレブなんかが来るはずもなく、隣のブースでは映画とは全く関係ないメキシコ人が怪しいジュエリーやパチモンのロレックスを販売していた。大金を騙し取られたマックは『なんて奴らだ!明日を夢見る純真無垢な映画製作者を騙しやがって!ふざけるな!』と怒りに打ち震えるが、その後自分が長編映画を製作する際には『ニューヨーク国際インディペンデント映画祭でグランプリを受賞した、あのスパイシーマック監督が長編映画を製作』ということを最大のアピールポイントにすることに。結果的に今度は自分が明日を夢見る純真無垢な100名以上のハリウッド俳優志望の人たちを騙すことになった。後にマックは『”人間がダークサイドに落ちる負の連鎖”を誰かが止めなくてはならない!』と悪びれることなく語っている。

ジャックワイズマンJr.との出会い

スパイシーマックがロスでルームメイトを募集したところ、偶然、フィルムスクールのプロデューサー学科を卒業したてのジャックワイズマンJr.が入居してきた。スパイシーマックは「これから長編映画を作る! プロデューサーをやってくれ!」と強引にプロジェクトに引き込み、当時は日本名を名乗っていたジャックワイズマンJr.に「アメリカ人の覚えにくい日本名を名乗って、本気でハリウッドを制覇するつもりか? ジャックワイズマンJr.に改名しろ!」と無理矢理改名させるが、結果、ジャックワイズマンJr.はこのネーミングを非常に気に入り、名付けたスパイシーマック本人はジャックワイズマンJr.の方がスパイシーマックよりもカッコイイと感じ、ちょっと羨ましく思っている。

 

ラファエロ・コチャマニス

初期のショートフィルム製作の頃から一緒に活動しているギリシャ人の俳優・監督である。元々はイギリスでパソコンのエンジニアとして働いていたが、ある日『パソコンの電源が入らない』と苦情を受け、出張でパソコン修理に向かったが、電源ケーブルがプラグに入ってなかっただけという悲しい事件を機に『こんなこといつまでも続けられない!ハリウッド俳優になろう!』と決意、渡米後にスパイシーマックと合流した。コンピューターを初め、芸能、文化、芸術、音楽、歴史などあらゆるジャンルに精通した天才であるが、料理の鉄人が大好きで鹿賀丈史の大ファンでもある。

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